最近読んだ南洋群島に関する二冊の本

オンライン書店の「日本の古本屋」で「南洋」を検索すると、なんと4,613件の在庫が確認された。南洋に関する書籍などが売り出されている。絵葉書、写真帖、雑誌、年鑑、統計書、風俗慣習、文化・宗教、地理、教育、資源、原住民族、南洋群島の発展概況、農業…

国産コーヒーと南洋群島

日本人で初めてコーヒーを飲んだのは、江戸時代の長崎出島のオランダ語通詞であったと言われている。明治の文明開化ともにコーヒー飲用が徐々に広まっていった。海外からの輸入に依っていたコーヒーを日本で生産しようとしたのは、榎本武揚であった。榎本は…

江戸川乱歩の『新寶島』に見る南洋

「冒険ダン吉」の連載が終わった後、『少年倶楽部』誌上では、江戸川乱歩の少年向けの作品「新寶島」(1940年)の連載が始まった。江戸川乱歩は既に『怪人二十面相』(1936年、昭和11年)『少年探偵団』(1937年、昭和12年)などの子供向け作品を発表し、人気作家…

南洋群島への夢:冒険ダン吉と森小弁

『冒険ダン吉』は子どものころ復刻版を読んだ記憶がある。 冒険ダン吉(3) 少年倶楽部文庫 講談社 島田啓三 1976 この他『ロビンソン・クルーソー漂流記』『宝島』『十五少年漂流記』『少年ケニア』などを熱心に読んだ記憶もある。 さて、『冒険ダン吉』は、…

伊藤若冲の弟白歳の作品

今日は久しぶりに四条の錦市場と新京極通りに出かけた。ここから歩いて5分ほどの裏寺町通りにある宝蔵寺の寺宝展を見学した。 宝蔵寺の正面 宝蔵寺は江戸中期に活躍した絵師伊藤若冲家の菩提寺として知られている。昨日から今月12日まで寺宝展が開かれ、若冲…

中国政治史研究者渡辺龍策先生への思い出

渡辺龍策先生との出会いは、筆者が20代中ごろのことである。長兄を介して、先生と知り合うことができた。先生とは栄にあるホテルの地下のラウンジバーでお会いして、よく話をした。このバーへ、先生はほぼ毎日通っていた。 先生は戦前・戦後初期までに通算25…

マレーシア華人の言語環境と言語選択

東南アジアを旅する際、必ずと言っていいほど出会うのがチャイナタウンであり、そこには漢字の看板がたくさん掲げられている。ここで生活する華僑または華人と呼ばれる人々は現地の言葉を含む2言語またはそれ以上の言語を巧みに操っている。その言語使用状…

ちばてつやの「風のように」について

以前の日記で、ちばてつやの『わたしの金子みすゞ』について、触れたことがある。最近、『風のように』という短編作品が2022年に久志本出版から刊行されていることを知った。「風のように」は1969年に『週刊少女フレンド』に掲載された作品である。早速、こ…

シンガポールの詩人王潤華と南洋郷土への愛着

王潤華はシンガポールを代表する詩人の一人であるが、中国文学、馬華文学(シンガポール・マレーシア華文文学)研究者としても知られ、文学研究書だけでなく、詩集、散文集の文学作品の著作も多数ある。南洋大学人文社会研究所所長、シンガポール国立大学教授…

『赤穂義士討入り従軍記「佐藤條右衛門覚書」』と武林唯七

先日、探し求めていた本を「日本の古本屋」を通して、やっと入手できた。探していた本とは『赤穂義士討入り従軍記「佐藤條右衛門覚書」』(中央義士会出版・初版平成14年、二刷平成25年)である。 赤穂義士討入り従軍記 財団法人 中央義士会発行 平成25年10月3…

 神田神保町古書店街と寧波料理

神保町古書店街を廻った後、お気に入りの喫茶店でコーヒーを飲み、レストラン・食堂で、昼食を取るのも楽しみの一つである。 この古書店街には、和食、洋食、中華料理(北京・広東・西安・南京・上海・四川・台湾・町中華)、ロシア料理、エスニック料理(タイ…

軍事郵便と戦争記録画

戦前、日本の画家の多くが戦争、戦地、兵士などを記録するため、それぞれ自己の画風を活かした戦争記録画を描いている。これらの絵は、戦前、戦後発刊された美術図鑑や画集に収めれている。それ以外に、実は、戦前発行された軍事郵便絵葉書に多数印刷され、…

マレーシアのカカオ園と駝鈴の文学世界

マレーシアといえば、かつてはゴム園が至る所にあったが、現在はゴムの樹に変わってどこに行ってもパームオイル樹(油ヤシ)が栽培されている。 マレー半島のパームオイル パームオイル樹などの陰で、混合栽培されているのがカカオである。カカオはコートジボ…

昭和へのノスタルジー

昭和時代について、世代によって異なる思いがあることは明らかである。昭和22年から昭和24年にかけての世代は「団塊の世代」と呼ばれ、高齢者人口が最も高い世代である。昭和を懐かしむ街、横丁の再現、資料館、記念館などが日本各地に作られていった。現在…

シンガポール華僑中学の記念メダル

連休を利用して書斎の片づけをしていると、本の隙間に一枚の記念メダルがあった。表には「新加坡華僑中学」の創設者陳嘉庚(タン・カーキー)の肖像が刻印されおり、このメダルは創立75年を記念して作られたものであった。 創立75周年の記念メダル(表) 1994年 …

マレーシアの華文中学を訪ねて

マレーシアは東南アジアの中で、最も華語教育が維持されている国である。マレーシアの公教育では国民型華文小学校で、華人の子どもたちは華語で授業を受けることができる。卒業後も華語教育を継続するには、独立華文中学と呼ばれる私立中学(高校も含む)へ進…

シンガポール・マレーシアの友人たち

人生を振り返ると、楽しいこと、辛いこと、感動したことなど、さまざまな出来事が思い出される。今回は、20代後半から情熱をもって始めた東南アジアの華人社会の研究や現地調査について、少し触れてみたいと思う。 私がこの分野に興味を持ったきっかけは、19…

山東省の芸術家について

山東省には五回ほど訪れたことがある。旅の楽しみは現地の美味しい料理を味わうことと文化に触れることである。山東省の省都、済南には、山東省高唐県出身で現代中国を代表する画家李苦禅の紀念館がある。その紀念館は市内西龍街にある元代の伝統的建築の「…

栗原信『六人の報道小隊』(陸軍美術協会刊 昭和17年 )について

本書は戦後GHQによって指定され、没収、廃棄された書である。いわゆるGHQ焚書本である。戦後初期、廃棄されたタイトルの本は7,000冊以上あったと言われる。幸い、本書は図書館や個人の蔵書として辛うじて残った。私の所有する本は、古本屋で入手したものであ…

幕末の長州藩お抱え石工武林唯昌について

江戸時代の儒学者室鳩巣の『鳩巣小説』の「武林家家譜」に、長州毛利家に仕える武林兵助が登場するが、萩藩分限帳、萩藩閥閲録、譜録にも武林家の記載がない。また、唯七が幕府に提出した親類書にも武林兵助の記述はない。 文筆家の李家正文氏(李家元宥の子…

赤穂義士武林唯七の刀について 

前回に引き続き、赤穂義士武林唯七についての話しをしていきたい。 武林唯七が討ち入り時に使った刀は越前刀工の藤原重高(二代目)の作という。刀の茎には重高の銘のほか、「元禄十五年壬午(みづのえうま)歳五月吉日、浅野長矩家臣、武林唯七隆重三十二歳…

浮世絵に描かれた赤穂義士武林唯七(国芳・国周・芳虎)

武林唯七は討入急進派として知られた赤穂義士のひとりである。祖父孟二官(武林治庵、渡辺治庵)は寛永年間に明国浙江省杭州から渡日した。武林唯七は孟二官の次男の家系で、長男の家系は現在まで子々孫々つながっている。 唯七の討入時の活躍については、江戸…

青春映画の思い出断章 ‐日活映画を中心に-

私の趣味のひとつに映画鑑賞、ドラマ鑑賞がある。若い頃には、時代劇、西部劇、冒険映画、戦争映画、社会派映画、文芸映画など数多くの作品を鑑賞した。映画館で見た青春映画はそんなに多くはなかった。その中で、吉永小百合・浜田光男の『愛と死をみつめて…

華僑・華人を知る本

地理学者であり、世界のチャイナタウンの研究者でもある山下清海氏(筑波大学名誉教授)が、明石書店から新著『華僑・華人を知るための52章』を出版した。この本は、明石書店の「~を知るための〇〇章」のシリーズの一冊で、従来の共同執筆者によるものとは異な…

南洋の果物

ドリアンの甘い果肉 マレーシアの友人宅で撮影 シンガポール・マレーシアのチャイナタウンに行ったとき、屋台や街角で売られているたくさんの種類の果物を見て、わくわくしたことがある。どの果物から食べようかと大いに迷った。周辺に独特の強い匂いを放っ…

シンガポールの屋台について

チャイナタウン牛車水の屋台街 多民族国家(華人76%、マレー系15%、インド系7.5%)シンガポールの食文化を知るには、安価で美味しいホーカーズ・センターにある屋台を利用するのが一番である。 筆者はシンガポールのチャイナタウンを訪れて、シンガポール華人…

最近読んだ二冊の本(「わたしの金子みすゞ」と「石田稔歌集」)

わたしの金子みすゞ 四十年ほど前、今は亡き友人と山口県長門湯本の温泉に行ったことがある。長門湯本には萩焼(深川焼)の坂倉新兵衛窯、坂田泥華窯などがあることでも知られている。温泉の帰りに、仙崎に立ち寄り、金子みすゞ記念館を見学した。仙崎の海、風…

ブログ日記の始まり

投稿順序がずれてしまいました。 白髪も増え、体力の衰えを感ずることもあるが、毅力はまだ衰えていないつもりでいる。数年前退職し、新しい老後の自由な生活が始まった。ところが、三年のコロナ禍で、行動・往来範囲が狭められ、閉塞感漂う日々を過ごしてい…

古本屋街の思い出

早稲田古本劇場 向井透史 東京の古本屋街といえば、神田の古書店街、早稲田通りの古書店街が思い出されます。神田の古本屋街はとりわけ学生時代から今日まで、よく通っていました。必ず立ち寄る本屋が20軒ほどあり、本を買った後は、「さぼうる」でコーヒー…