神田神保町古書店街と寧波料理

 

神保町古書店街を廻った後、お気に入りの喫茶店でコーヒーを飲み、レストラン・食堂で、昼食を取るのも楽しみの一つである。

この古書店街には、和食、洋食、中華料理(北京・広東・西安・南京・上海・四川・台湾・町中華)、ロシア料理、エスニック料理(タイ、シンガポール、インド)など様々な食文化を体験できる。なかでも老舗の美味しい中華料理店、とりわけ、上海料理店、寧波料理店が目につく。

戦前、神田神保町近辺には明治大学や東亜高等予備学校、清国留学生会館などがあった関係で、中国人留学生が生活し、中華料理店も数多くあった。最盛期には140軒ほどあったという。大正年間、日本へ来た浙江省の温州人は日傘・雑貨品、青田人は青田石の彫石細工を日本各地で売り歩いて生計を立てていた。浙江省寧波からは香港、マカオに移住する人が多く、日本へ向かう数は少なかった。しかし、日本と寧波との交流の歴史は長く、江戸時代に寧波と長崎を結ぶ航路があり、寧波商人が渡日し、長崎の唐人屋敷で商業活動を行っていた。明治の文明開化の時期にも、横浜では洋服仕立ての技術を持った寧波人が早くから洋服店を開業していた。

 神田神保町で寧波出身の顧雲生が浙江料理店「漢陽楼」を開いたのは、1911年のことである。この店には、孫文や同盟会のメンバーが訪れていた。周恩来も神田にあった日本語学校の留学生として過ごしていた頃、同郷の味を求めてよく訪れ、食事をしながら政局談義を語っていた。現在の店主は日本人に代わっているが、伝統の味は引き継がれている。

漢陽楼 靖国通り北側

 

東亜高等予備学校跡 神田神保町 愛全公園内



同じく寧波人が経営する店として、上海料理「新世界菜館」と紹興酒と寧波家庭料理の「咸享酒店」がある。前者は昭和18年、寧波出身の傅寶順が開業、後者は「新世界菜館」二代目傅健興(寧波旅日同郷会理事長)が1992年に姉妹店として開店した。

新世界菜館 神田神保町「新世界ビル」

咸亨酒店 紹興酒と寧波家庭料理の店



この他、明治39年(1906年)創業の「揚子江菜館」がある。この店は、寧波出身の周所橋が開業した。周所橋は「神田中華組合」や「寧波同郷会」などの社団組織を創立し、リーダー的存在であった。

揚子江菜館 神保町すずらん通り


また、昭和21年寧波出身の傅寶順が中国料理「源来軒」を開業し、二代目傅寧興が引き継いだが、2014年惜しまれて閉店した。。1996年(平成8年)に、傅寧興の次男傅登華が靖国通りに寧波料理「源来酒家」を開業し、土鍋の麻婆麺、上海焼きそばなどが美味しく、人気店となっている。

源来酒家と揚子江菜館の名刺

 

源来酒家 靖国通り

なお、寧波出身の鄭余生が明治32年、神保町に開店したのが、かの有名な「維新號」である。魯迅、周作人、周恩来のエッセイや日記にも記され、多くの留学生がこの料理店を利用した。寧波府奉化県出身の蒋介石が離日の時に、この店で送別会が開かれたという。残念ながら「維新號」は昭和22年、銀座に移転した。

このように、寧波人は地縁・血縁・業縁を利用して、神田神保町を中心にして、料理店を増やしていった。本の街神田神保町で、寧波人たちの作る浙江料理の味が現在まで受け継がれ、この街を訪れる人々に郷土の食文化を提供し続けている。

参考文献:

・「チャイナタウン神田神保町」『東京人』2011.11 no.302

・浙江籍海外人士研究 呉潮 学林出版社 2003年

一般財団法人 寧波旅日同郷会 (coocan.jp)

周恩来『十九歳の東京日記』小学館文庫 1999年