マレーシアのカカオ園と駝鈴の文学世界

 マレーシアといえば、かつてはゴム園が至る所にあったが、現在はゴムの樹に変わってどこに行ってもパームオイル樹(油ヤシ)が栽培されている。

マレー半島のパームオイル


パームオイル樹などの陰で、混合栽培されているのがカカオである。カカオはコートジボワールやガーナのアフリカ産や中南米産が主流であるが、マレー半島や東マレーシアのサバ州でも生産量は少ないが、栽培されている。マレーシアのカカオは高品質で、商品的価値が高いため、小規模農家や農園主が商品作物として栽培している。毎年、一部の農場で収穫されたカカオが最短で二か月後にはチョコレートになって、東京のデパートの店頭に並んでいる。アフリカ・中南米産カカオはヨーロッパに輸送され、加工されるので、一般に店頭に並ぶには二、三年かかると言われる。

ここで、紹介する文学作品は、マレー半島の内陸部の小さな農村のカカオ園が舞台になっている。

さて、マレーシアの華文文学作家駝鈴は、私の尊敬する作家の一人である。私が初めて駝鈴氏とお目にかかったのは、クアラルンプールで開催された「学術研討会」の席上であった。1980年代、友人の華文作家伍良之氏は、私の研究を助けるため、マレーシアで出版されている書籍を定期的に送付してくれていた。ある日、伍良之氏から送られてきた書籍の中に十二冊ワンセットの叢書『松柏書系』があった。その中にあったのが、駝鈴著『カカオ園の黄昏』という作品集であった。作品のタイトルに引かれ、読み始めると、すぐにマレーシア農村の色彩が色濃く反映された駝鈴の文学世界に引き込まれてしまった。過去から現在に至るまで、馬華文壇では現地の色彩を反映した作品の創作が呼びかけられ、これを受けて若手の作家たちもマレーシアの色彩を反映した小説を発表していた。しかしながら、私はこれらの作品を読み終えて、なにか物足りなさを感じていた。この原因は、たぶん駝鈴の作品の影響を強く受けていたことに起因すると思われる。この短編小説は日本語に翻訳されたので、中国文学や台湾文学とは異なる東南アジアの華文文学に関心を持った読者も少なからず増えた。

駝鈴著 『カカオ園の黄昏』1985年

駝鈴の短編小説を読み、読者は日常生活の平凡な事件や普通の人物形象を通して、社会の現実を理解し、さらに社会の本質を認識することができたと思う。

駝鈴はマレー人の多い農村で生まれ育ったので、農村生活、マレー人、インド人の風俗習慣、生活実態について精通していた。駝鈴は各民族の生き生きとした形象をリアルに描いていた。彼は文字、格調題材の面で現地の特色を描き、各民族の垣根を取り払おうとした。「カカオ園の黄昏」という作品の主題は、華人とマレー人の間の婚姻問題と民族関係、民族を超えた家族の愛情についてである。マレー人と結婚した娘を許せない頑迷な父親、カカオ園で懸命に働く娘婿の死、残された孫の成長を通して、次第に気持ちを氷解させ、自己の誤りを認めていく父親の心情の変化を見事に描き出している。読者は民族関係の難しさを感じると同時に、将来に一筋の光明を見出している。私は作家駝鈴の説得性のある描写の技巧に感心した。短編小説「カカオ園の黄昏」は彼の作品の中で最も成功した短編作品であるといえよう。

  作家駝鈴の経歴は下記の通りである。

本名は彭龍飛、祖籍は福建晋江。1936年、ペラ州の農村で生まれる。小学校の教師を長年務める。1954年から創作活動、ペラ文芸研究会を組織。文芸誌『清流』を出版。マレーシア華文作家協会主席、アジア華文文学賞受賞。主要な作品として、『吉打的人家』『可可園的黄昏』『家福』『駝鈴文集』『硝煙散尽時』『愛己深沈』など。マレー語文学の翻訳作品として『旋毛児』『馬来短編集』などがある。