食に関する本や雑誌は、これまで数多く出版されてきた。世界各国の料理、宮廷料理、珍品料理、香辛料や調味料、発酵食品、茶文化、酒文化、食の儀礼 、ワインと外交、宴会、食と文学、食と政治、アジアの屋台文化、移民と食文化など、そのテーマは実に多彩である。筆者の本棚にも、こうした書籍の一部が並んでいる。
書棚に並ぶ食文化の本
本稿では、その中から筆者が特に関心を抱いた数冊を紹介したい。 世界三大料理 の一つである中華料理は、中国大陸・香港・台湾にとどまらず、華僑・華人 の世界各地への移民によって、各地に形成されたチャイナタウンを通じ、世界へと浸透していった。筆者の子ども時代を振り返っても、大衆食堂でラーメン、餃子、チャーハン、天津飯 など、いわゆる庶民中華(町中華 )を食べた記憶がある。 一方、メニューの豊富な本格的中華料理店に足を運ぶようになったのは、二十歳を過ぎてからであった。それ以降の中華料理の食体験を挙げると、華僑が経営する中華料理店、横浜中華街、香港で味わった北京料理 ・上海料理 ・広東料理 ・四川料理 ・客家 料理、中国初訪問時に体験した広東料理 ・湖南料理 ・上海料理 、シンガポール やマレーシアでの中国南方料理や屋台料理、台湾での台湾料理 および中国各地の地方料理、さらに中国での調査旅行中に体験した福建料理 ・浙江料理 ・東北料理・山東料理 などである。筆者は美食家でも食通でもないが、主だった中華料理はおおむね体験してきたと言える。
最初に紹介するのは、『世界の中華料理』である。本書は、現地事情に精通した人類学者17名が、それぞれのフィールドでの調査と食体験をもとに、世界各地における中華料理の最新の状況を描き出している。目次では、各章に国名だけでなく副題が付されており、その内容を概観できる構成となっている。
世界の中華料理 昭和堂 全278頁 2024年
序章 世界は中華を食べている
第一部 東アジア
第1章 日本 卓袱・普茶料理 から町/ガチ中華に至るまで
第2章 韓国 韓国中華の担い手と中国へのまなざし
第二部 東南アジア
第3章 ベトナム 現代「ハノイ 中華」を創りだす人々
第4章 マレーシア/インドネシア 多文化社会で生み出される食文化、チャンプルの魅力
第5章 タイ 「タイになる」:分かち難く定着したタイにおける中国
第6章 インド インド中華からデーシーチャイニーズへ
第三部 中東・アフリカ
第7章 サウジアラビア 「厳しいイスラム 社会」で生まれた柔軟性
第8章 ナイジェリア 植民地時代の遺産と活性化する人の移動の中で
第9章 南アフリカ共和国 移民とアパルトヘイト の爪痕
第四部 ヨーロッパ
第10章 ドイツ 異国風高級料理から汎アジア料理へ
第11章 オランダ 異国情緒と食文化が融合するシニーズ 料理
第12章 スロバキア /ハンガリー アジア系移民と曖昧な存在の中華料理
第五部 南北アメリカ
第13章 グァテマラ 混淆と受容の国にみる北米と「チノ」
第14章 ペルー 街にとけこみ、あふれるチーファ
第15章 米国 多様な社会をつなぐサブスタンス
終章 中華の融通無碍な応用力が世界の人々の欲求を満たす
約20年前、同名の『世界の中華料理』(『アジア遊学』、勉誠出版 、2005年)が、13名の人類学者・社会学 者によって刊行されたことがある。同書では、香港、台湾、日本、韓国、ベトナム 、カナダ、アメリ カ、ハワイ、イギリス、フランスの中華料理が紹介されていた。
アジア遊学 世界の中華料理 勉誠社 2005年
それに対し、2024年刊行の『世界の中華料理』では、対象地域が南アジア、南米、中東、アフリカへと大きく広がり、人の移動にともなって中華料理のグローバル化 がさらに進展し、各地で受容と変容が進んでいる様子が明らかにされている。
今日、世界各地で中華料理が日常的に食べられていることは疑いようがない。その広がりを支えているのは、「融通無碍な応用力」である。日本においても、本場中国の味をそのまま提供する「ガチ中華」と呼ばれる店が目立つようになった。移動する中国人の増加にともない、麻辣料理、羊肉料理、麺類、火鍋など、地方色の強い料理を中心とした店が、中国人コミュニティの形成された地域で経営されている。
一方、世界各国の中華料理は現地風にアレンジされ、比較的安価で親しみやすい料理として定着したものと、現地在住の中国人を主な顧客とする本場志向の料理とに分化しているように見える。日本においても、本格中華料理店は一般店、高級店、さらには富裕層を対象とした超高級店へと細分化されている。
次に紹介するのは、『地球上の中華料理店をめぐる冒険』(関卓中著、斎藤栄 一郎訳、講談社 、2024年)である。著者の関卓中は香港生まれで、現在はカナダ在住の華人 である。映像作家として、世界各地に根を張る中華料理店の経営者を直接取材し、その個人史を映像化したドキュメンタリー作品、五部作『チャイニーズ・レストラン』(2004年)を制作し、大きな反響を呼んだ。本書は、その映像作品を書籍化したものである。英語版の原題は “Have You Eaten Yet?” 。なお、映像作品はYouTube (Cheuk Kwan’s Chinese Restaurants)でも公開されている。
地球上の中華料理店をめぐる冒険 講談社 全441頁 2024年
著者は、カナダ、イスラエル 、トリニダード・トバゴ 、ケニア 、モーリシャス 、南アフリカ 、マダガスカル 、トルコ、ノルウェー 、キューバ 、ブラジル、インド、アルゼンチン、ペルーなど、五大陸十五か国を訪れ、その旅を「冒険」として映像化した後、反響が大きかったので、今度は活字を通して冒険を描いている。章立ては15章、上記の国々が取り上げられている。各章には読者の興味を引くタイトルが付けられている。イスラエル の章では、イスラエル で牧師になった難民、トルコの章では、中国から歩いてきた男、ブラジルの章ではアマゾンの麻婆豆腐、マダガスカル の章ではスプ・シノワーズは国民食 、キューバ の章では、キューバ が映す中国の幻影、インドの章ではヒマラヤでアフターヌーンティーを、などが挙げられる。
本書のプロローグで、著者は次のように述べている。 「新入りの華人 にとって、その土地に溶け込む近道は中華料理店を開くことだ。何しろ他国の人々には太刀打ちできない独特の仕事だし、合法的な移民か不法移民かを問わず、新参者の働き口となり、自立の手助けとなる」 「世界を旅しながら遠く離れた地で生きる華人 の同胞に出会うと、いつも決まって脳裏をよぎる疑問がある。私たちのアイデンティティ とは、国籍なのか、それとも民族性なのか」
こうした問題意識を抱きながら、著者は十五か国を巡る旅に出る。中華料理という「食」を通して、現地での受容と変容の過程、そしてそれを担う料理人や経営者、従業員一人ひとりの華人 ディアスポラ の精神に迫っている。
日本語版では、十代を日本で過ごした経験を持つ著者が、横浜中華街、赤坂、麻布の老舗中華料理店を語り、さらに新大久保、池袋、高田馬場 などに見られる中国新移民の中華料理店を通して、最新の日本における中華料理事情についても書き下ろしている。そこでは、こう述べている。
「中国人移民は、故郷を遠く離れて文化も言語もまったく違う社会に身を置くことも多い。生き抜くためには、移住先に適応し、臨機応変 に立ち回る必要がある。そして、この適応力と創意工夫の精神の典型こそ、海外にある中華料理なのだ。」 なお、赤坂や麻布などでは、中国新移民富裕層を対象とした超高級中華料理店や会員制料理店も登場している。