栗原信『六人の報道小隊』(陸軍美術協会刊 昭和17年 )について

 本書は戦後GHQによって指定され、没収、廃棄された書である。いわゆるGHQ焚書本である。戦後初期、廃棄されたタイトルの本は7,000冊以上あったと言われる。幸い、本書は図書館や個人の蔵書として辛うじて残った。私の所有する本は、古本屋で入手したものである。

宮本三郎画伯 装丁画

 作者の栗原信は戦前、二科会で活躍した洋画家で、昭和14年陸軍美術協会に所属して、戦地に赴き、戦争記録画を制作した。『六人の報道小隊』はマレー半島攻略作戦に報道班の一員として、栗原が従軍した時に、書き留めた作品である。六人の報道員とは、栗原信(画家)、里村欣三(作家)、堺誠一郎(作家)、石井幸之助(カメラマン)、長屋(新聞記者)、松本(新聞記者)である。六人の報道小隊であるが、出発日の前日に加わった長屋、松本二人の報道員は姓のみ書かれ、長屋は地方記者、松本は音楽をこなす新聞記者と紹介されているだけである。

 栗原は部隊の戦況や進撃、守備の様子や里村、堺、石井各報道員の行動を軽妙な筆致で記録しており、本書の目次は、六人の報道小隊、ジョホールへ、スクダイ高地、総攻撃の前夜、シンガポール島総攻撃、ゴム林を征く、ブキテマ高地、激戦の陰に、英軍降伏となっている。破竹の勢いで、英軍を追って南下した日本軍がシンガポールの対岸ジョホールまで辿り着き、シンガポールを死守しようとする英軍との戦いを活写している。本書には栗原のスケッチした絵が、12枚付属している。街の風景、椰子林、海岸、集落、市街地などが描かれている。また、本書の装丁は宮本三郎画伯が担当しており、報道班員の石井カメラマンの報道写真も掲載されている。

詩人金子光晴も滞在したバトバハの風景 栗原信画

 興味深いのは、栗原が元プロレタリア作家の里村や中央公論社出身の作家の堺をどのように観察していたのかという点だ。二人の性格は丸で反対だが、純情で、実行性に富んでいるところが、面白い対象をなして一致していると述べ、里村については、こう語っている。

 「彼はいつも突発的に直情的に行って了ふのが癖だが、決して悔いたことも、効果を楽んだこともない。或る宗教には関心を持ってゐるが、戒律には好きなとこだけしか必要がない様である。寧ろ彼の尤もらしいものは酒を吞み乍ら、のべつ論じられる社会批評人生批判なのである。」

 一方、堺については、こう述べている。

「堺はその反対に言葉は〇〇用に相応しいと言はれる程、優しく好き透ってゐるが、最後は容易に曲げない意志的な無気味さ一国さがある。彼は満州の軍隊生活から得た諦観を持ってゐて、惨めな自分の姿を、冷やかに凝視してゐる習慣がある。」

 里村と堺は考えの違いがあっても互いに尊敬しあう仲で、二十年にわたって親友関係を維持していた。シンガポールに半年滞在した後、二人は報道班員として、ボルネオ島に渡り、報道記録を書き続け、里村は名著『河の民』(有光社、1943)、堺は『キナバルの民』(有光社、1943)を上梓している。人跡未踏の北ボルネオの大河キナバタンガンを船で遡り、自然、動物、河の周辺で暮らす原住民族(ムルット族、ドゥスン族)の生活などを愛情溢れる筆致で描き出している。

二冊の北ボルネオ紀行 中公文庫


もし、機会があれば、これら二冊をぜひ一読していただきたい。現在、中央公論から出版されている。なお、栗原の戦争記録画(アメリカ合衆国 無期限貸与)は東京国立近代美術館に三点所蔵されている。

・「湘江補給戦に於ける青紅幇の協力」(1942)
・「怒江作戦」(1944)
・「ジョホール渡過を指揮する山下軍指令官(ジョホール王宮)」(1944)