2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧

マレーシアの華文中学を訪ねて

マレーシアは東南アジアの中で、最も華語教育が維持されている国である。マレーシアの公教育では国民型華文小学校で、華人の子どもたちは華語で授業を受けることができる。卒業後も華語教育を継続するには、独立華文中学と呼ばれる私立中学(高校も含む)へ進…

シンガポール・マレーシアの友人たち

人生を振り返ると、楽しいこと、辛いこと、感動したことなど、さまざまな出来事が思い出される。今回は、20代後半から情熱をもって始めた東南アジアの華人社会の研究や現地調査について、少し触れてみたいと思う。 私がこの分野に興味を持ったきっかけは、19…

山東省の芸術家について

山東省には五回ほど訪れたことがある。旅の楽しみは現地の美味しい料理を味わうことと文化に触れることである。山東省の省都、済南には、山東省高唐県出身で現代中国を代表する画家李苦禅の紀念館がある。その紀念館は市内西龍街にある元代の伝統的建築の「…

栗原信『六人の報道小隊』(陸軍美術協会刊 昭和17年 )について

本書は戦後GHQによって指定され、没収、廃棄された書である。いわゆるGHQ焚書本である。戦後初期、廃棄されたタイトルの本は7,000冊以上あったと言われる。幸い、本書は図書館や個人の蔵書として辛うじて残った。私の所有する本は、古本屋で入手したものであ…

幕末の長州藩お抱え石工武林唯昌について

江戸時代の儒学者室鳩巣の『鳩巣小説』の「武林家家譜」に、長州毛利家に仕える武林兵助が登場するが、萩藩分限帳、萩藩閥閲録、譜録にも武林家の記載がない。また、唯七が幕府に提出した親類書にも武林兵助の記述はない。 文筆家の李家正文氏(李家元宥の子…

赤穂義士武林唯七の刀について 

前回に引き続き、赤穂義士武林唯七についての話しをしていきたい。 武林唯七が討ち入り時に使った刀は越前刀工の藤原重高(二代目)の作という。刀の茎には重高の銘のほか、「元禄十五年壬午(みづのえうま)歳五月吉日、浅野長矩家臣、武林唯七隆重三十二歳…

浮世絵に描かれた赤穂義士武林唯七(国芳・国周・芳虎)

武林唯七は討入急進派として知られた赤穂義士のひとりである。祖父孟二官(武林治庵、渡辺治庵)は寛永年間に明国浙江省杭州から渡日した。武林唯七は孟二官の次男の家系で、長男の家系は現在まで子々孫々つながっている。 唯七の討入時の活躍については、江戸…

青春映画の思い出断章 ‐日活映画を中心に-

私の趣味のひとつに映画鑑賞、ドラマ鑑賞がある。若い頃には、時代劇、西部劇、冒険映画、戦争映画、社会派映画、文芸映画など数多くの作品を鑑賞した。映画館で見た青春映画はそんなに多くはなかった。その中で、吉永小百合・浜田光男の『愛と死をみつめて…

華僑・華人を知る本

地理学者であり、世界のチャイナタウンの研究者でもある山下清海氏(筑波大学名誉教授)が、明石書店から新著『華僑・華人を知るための52章』を出版した。この本は、明石書店の「~を知るための〇〇章」のシリーズの一冊で、従来の共同執筆者によるものとは異な…