国産コーヒーと南洋群島

 日本人で初めてコーヒーを飲んだのは、江戸時代の長崎出島のオランダ語通詞であったと言われている。明治の文明開化ともにコーヒー飲用が徐々に広まっていった。海外からの輸入に依っていたコーヒーを日本で生産しようとしたのは、榎本武揚であった。榎本は小笠原諸島の父島にインドネシア産のコーヒーの苗を移植し、栽培に成功した。しかし、経済性の高いサトウキビの栽培拡大に押されて、コーヒー生産が低下していった。その後、太平洋戦争の勃発によって、島民が内地に疎開したため、コーヒー園は荒廃した。島民は23年後にやっと帰島でき、荒廃した島の再開発に乗り出した。幸い、野生化したコーヒーの樹が残っていたため、野瀬昭雄氏がコーヒーの栽培復活に取り組み、収穫に成功した。但し、年間で約200kgしか生産できない、希少なコーヒー豆である。(日本で採れるコーヒーがあるのを知っていた?小笠原コーヒーの秘密 - 小笠原村観光局 visitogasawara.com)

 国際連盟から委任統治された南洋群島での製糖事業を展開するために、1921年、南洋興発会社が設立された。創設者の松江春次は経営能力を発揮し、製糖事業だけでなく、水産、農業、燐鉱業、貿易など幅広い事業展開を行い、サイパンの開発に貢献した。製糖工場はサイパンテニアン、ロタ、ポナペに作られ、日本からの入植者は五万を超えた。

  さて、国産コーヒーの生産のために、南洋珈琲会社はサイパン、ロタでコーヒーの栽培の事業を展開した。昭和10年に出版された『海外発展案内書』のなかに、サイパン島のコーヒーに関して次の記述があった。

海外発展案内書 表紙 昭和10年刊 国会図書館デジタルコレクション

「南洋珈琲は布畦島コナ地方に於いて多年珈琲栽培に従事してゐた西岡儀三郎、松本栄太、池田寅平氏等が日本領土内で珈琲を生産し、国産として珈琲を販出せしめ度いと云う理想のもとに住田多次郎氏を社長として五十萬圓の資本金を以つて、昭和四年よりサイパン島に於て事業を創始したものである。ラウラウ、タツポウテフ、ポートリコ、パーパコに農場を有し、耕地面積約二百町歩、ポンタマテフに六千餘坪の工場を有し、年約一萬俵位の生産を見つゝあり、香味よく国産コーヒーとして高評を受けてゐる。同社は更にロタ島に約二百町歩の官有地払下げを受け、近く同島に進出することになってゐる。」(「南洋群島の産業事情」p15   三平将晴 大日本海外青年会 昭和10年改訂 国会図書館デジタルコレクション)

 放浪作家の安藤盛の『南洋記 踏査紀行』(昭和11年)を古書店で入手したので、コーヒー園に関連する部分を紹介したい。サイパン、ロタ、セレベス、ダバオ、ニューギニアなどの南洋群島を旅して、南洋の自然、食べ物、原住民の風俗習慣、日本人社会、南洋興発の仕事ぶりなどを軽快な筆致で書き留めている。安藤はロタ島でも南洋興発の製糖業を含む諸事業の発展に興味があり、コーヒーに関心はなく、辛口のコーヒー園紀行文で終わっている。

南洋記 安藤盛 昭和11年刊 昭森社

「・・・一軒の家が林をまばらに開墾した中に立っていた。そこはコーヒーを栽培する会社だった。会社員は、ここでコーヒーを作つて、日本に輸入されている南米あたりのコーヒーを防止すると、意気甚だ高かった。」この後、社員から植え付け面積が十七町歩、あと七八十町歩の作付け面積の拡大予定を知り、作者はその面積の少なさに唖然としている。また、「日本領南洋のコーヒーは、粗悪と云われる南米コーヒーより、もっと粗悪で、その香気さへ低い」(安藤盛 pp24-25)とその味を酷評している。実際、安藤が南洋産のコーヒーを飲んだかはこの紀行文には書かれていない。ここで記されているコーヒー栽培会社とは南洋珈琲株式会社のことであり、戦時中、南洋興発に吸収合併されている。

 サイパンでのコーヒー栽培は、サトウキビ栽培に比べると規模は小さいながら順調に発展し、最盛期期には年間290トンのコーヒーを日本に輸出したという。しかし、太平洋戦争によって、サイパン、ロタなどでの南洋興発の事業はすべて無に帰した。

 戦後、荒廃し、放置されたコーヒー園は、現在サイパン、ロタで奇跡の復活をとげている。現地を取材した産経新聞の記者は次の様に記している。

「眼下に広がる緑の山林は、日本の委託統治領時代はコーヒー山と呼ばれていた。ここだけではない。最高峰のタッポーチョ山を除き、すべての山の通称がコーヒー山だった。それほどコーヒー栽培が盛んだったのだ」(産経新聞2015.6.7)

 カリフォルニアからサイパン島に移住したアメリカ人ジョーダン夫妻が、このコーヒー山で野生化したコーヒーの木を栽培して、「マリアナスコーヒー」というブランド名のサイパン産コーヒーを少量ながら生産している。100%サイパン産のコーヒーが市場に出回るのは限られているが、いつか味わってみたい。

 ロタ島ではUCC上島コーヒー、KFCトライアスロンクラブとロタ市が協力して、日本人の開発した旧コーヒー園で自生する原木より採取した実から苗木を育て、コーヒーの栽培を行うプロジェクトを推進している。採取されたコーヒー豆を試飲した結果、味は「柑橘系のフルーティーさ、酸味や甘みもあり、ポテンシャルは高い」(産経新聞2023.8.16)と評価されている。これらの取り組みにより、「ロタブルーコーヒー」という新しいブランド名のコーヒーが2025年に商品化される予定である。ロタ島の活性化のためにも、この事業が成功することを祈っている。

 

参考文献

・80年前のコーヒー「奇跡」のリレー 産経新聞2023.8.16

・日本人が夢見た「南洋コーヒー」  産経新聞2023.8.2

・復活した「南洋興発コーヒー」   産経新聞2015.6.7

・激動の歴史をくぐり抜けたコーヒーの木 空想地球旅行 (walkthrough-the-earth.com)

  2012.3.15

・あいづ人物伝 南洋開発にかけた一生 松江春次  (city.aizuwakamatsu.fukushima.jp)

Rota Coffee Projec part7 (kfctriathlon.com)ロタコーヒー農園復活プロジェクト第7弾