尖閣諸島を理解するために- 手元にある資料の紹介-

 尖閣諸島を学ぶためには、以下の資料が役に立つ。これらは、私の手元にある資料であり、数は多くないがネット資料も含めて、尖閣諸島を理解するための工具になる。

尖閣諸島に詳しい写真家の山本皓一氏は次のように述べている。「もし尖閣諸島が大事と考えるのであれば、中国を論破することだけを考えて過去を知ろうとする姿勢は、あまりお勧めできない。そのような方向に走らずとも、尖閣諸島日本人が残してきた、他国に恥じることのなき堂々とした歴史を知ることは、十分に可能である」(下線は筆者)

尖閣諸島の開拓は1980年代に古賀辰四郎(1856-1918)によって行われた。古賀は福岡県八女出身で、沖縄県で海産物を扱う古賀商店を開いた。1884年尖閣諸島アホウドリ調査のための探検隊を送り、翌年アホウドリの羽毛を採取。1895年、古賀は尖閣諸島久場島に上陸。1896年、明治政府から魚釣島久場島南小島北小島の四島を三十年間無償で借り受けた。羽毛・夜光貝の採取と販売で大きな利益をあげたが、アホウドリの減少を知って、次のビジネス展開のために、1900年、古賀は昆虫学者の宮島幹之助博物学者の黒岩恒尖閣諸島の調査を行わせた。その報告が「地学雑誌」に発表された「尖閣列島探険記事」(黒岩恒,1900)、「沖縄縣下無人嶋探檢談」(宮島幹之助,1900)である。宮島、黒岩は「鳥類・魚類の乱獲防止、移住者のための家屋建設、水源のない久場島での雨水貯水槽の設置、船着き場の整備、道路整備および排泄物の排除方法確立や衛生設備の設置」を進言した。(「1984古賀辰四郎による尖閣諸島の開拓」島嶼資料センター)古賀はこの進言を受け、魚釣島の整備を行うための見取り図(事業所建物配置図)を作成し、整備を推し進めた。古賀は尖閣諸島で、夜光貝の採取(高級ボタンとして使用)、海鳥の捕獲(羽毛の採取・剥製)、鳥糞採取(肥料)、鰹漁・鰹節製造など様々な事業を展開した。海鳥が減少すると、鰹漁・鰹節製造がメインの事業となった。移民総数は最盛期で、248名・99戸に及んだ。古賀村は魚釣島、南小島、久場島に作られた。1918年、古賀が亡くなると、息子善次が事業を継いだ。親子二代、私財を投じ尖閣諸島の開発維持に努力した。しかし、大正元年(1912)に尖閣諸島を襲った台風によって、古賀村は大きな被害を受け、古賀は尖閣諸島の古賀村の再建をあきらめた。これ以降、古賀は一年契約の漁師を尖閣諸島に派遣していた。大正7、8年(1918,1919年)ごろは漁業期には69人の漁民が魚釣島に滞在して漁労をしていたとの記録がある。1939年5月、農林省資源調査団が尖閣諸島を調査。団員の正木任が調査報告書尖閣群島を探る」(『採集と飼育第3巻第4号1941.4)を発表。魚釣島の北北西岸の平地にビロウ(蒲葵の葉脈)採取のため、53名の労働者が与那国島から来ていたとの記述がある。仮小屋を建て生活していたようである。1943年9月、藤原中央気象台長、尖閣測候所建設計画のために、内川測候所技手・大和順一測候所長を派遣して魚釣島の調査を行った。翌年、尖閣測候所は戦局の悪化によって、中断されてしまった。冒険者、漁業者、研究者たちの尖閣諸島開拓への夢と挑戦、足跡を知ることは、「堂々とした歴史」を学ぶことに通じる。

冒険家、漁業者、研究者たちの熱き夢と挑戦 尖閣諸島文献資料委員会編

戦後、所有者は古賀家に代わって、埼玉県の実業家栗原國起が尖閣諸島を引き継いだ。栗原家は「財団法人古賀協会」を創立した。 

 

明・清時代の冊封使の資料を学ぶ

原田禹雄氏が冊封琉球使録の訳注を11冊刊行している。尖閣列島とその周辺の記述がある陳侃と趙新の資料が極めて参考になる。原田氏の解説書(2006.)もわかり易い。

・原田禹雄  尖閣諸島 冊封琉球使録を読む 榕樹書林 2006.1

・原田禹雄訳注     陳侃 使琉球録       榕樹書林 1995.6

・原田禹雄訳注 趙新 續琉球國志略     榕樹書林 2009.6

 

尖閣諸島の開拓の歴史を学ぶ

・平岡昭利 アホウドリと「帝国」日本の拡大  明石書店

・平岡昭利 アホウドリを追った日本人 –一攫千金の夢と南洋進出-- 岩波新書 2015.3

古賀辰四郎氏による尖閣諸島の開拓(1884年~) | 情報ライブラリ | 笹川平和財団| 島嶼資料センター- THE SASAKAWA PEACE FOUNDATION (spf.org)

 

尖閣諸島の調査資料 

尖閣研究 高良学術調査団資料集 尖閣諸島文献資料編纂会 上・下 2007.10

尖閣研究上・下 高良学術調査団

2007年10月刊。上下2巻セット函入り。大型本B5版ソフトカバー帯付き。(上)386頁・(下)390頁。1950―68年にわたる尖閣諸島総合学術調査集成。米国信託統治の沖縄で、高良鉄夫博士(元琉球大学学長)率いる調査団は第1~5次にわたり 尖閣諸島の生物相・資源や歴史を総合的に調査した。「明治30~40年代の黒岩恒氏や宮島幹之助氏・恒藤規隆博士、昭和10年代の正木任氏による優れた調査があったが、いずれも単発的・個別的調査の域をでなかった。…明治43年黒岩氏が “此列島には未だ一括せる名称なく地理学上不便少からさるを以て…尖閣列島なる名称”を提唱以来広く使われていたが、1972年復帰以降から今日では“尖閣列島”の名称が一般的となっている。…今後尖閣領土問題は一段と厳しさを増してくるものと思われる。尖閣列島に関わる様々な事実については正しい認識がますます必要となる。」(発刊の辞)

尖閣研究  尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告 2009年 尖閣諸島文献資料編纂会2010.8

尖閣諸島の周辺海域は水産資源が豊富で、かつては多くの漁業者が出漁し、さまざまな漁業が営まれていた。しかし近年は中国や台湾とのトラブルなどのため、出漁する漁業者はほとんどいない状況である。本書は2009年度、2012年度、14年度の3回行われた尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告集である。3冊総計1200ページにもなる大冊で、楽に通読できるものではないが、一番の注目点は多数の海人から話を聞き取り、それを記録したことである。琉球新報2016年06月05日 

尖閣研究  尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告 2012年 尖閣諸島文献資料編纂会2013.9

「本調査は、尖閣諸島に出漁された沖縄県の漁業者に対する聞き取り調査である。
周知のように、尖閣諸島海域の漁業に関する資料が少なく、同島海域における漁業の実態、その全容は詳らかでない。しかも海域へ出漁する漁船は、現在は僅かである。
かつては尖閣諸島海域へ多くの漁船が出漁し、様々な漁業が営まれてきた。
深海一本釣りのマチ漁から、カツオ釣り、突き船でのカジキ獲り、果ては追込みによるダツ漁、等々である。その中には、ダツ追込みや突き船でのカジキ突きとか、今は漁法が絶えたものもある。また深海一本釣にしても、イシマチャー(石巻落し漁)からヤマギタ方式を経て、現在の一本釣型になったという。これも今回の調査で明らかになった。」

尖閣研究  尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告 2014年 尖閣諸島文献資料編纂会2015.9

 この3回に亘る調査報告は、わが国の尖閣諸島海域の漁業の開発利用の実態を示し、こと国際的問題が生じた場合、日本の尖閣諸島に対する実効支配を証左する重要な資料になるものと確信する。 (尖閣諸島文献資料編纂会の日本財団への報告書より)

調査|尖閣諸島ホームページ (tokyo.lg.jp)   東京都総務局

都は平成24年9月2日に尖閣諸島の現地調査を実施しました。 調査で記録した写真や動画により、豊かな自然環境にありながらも、ヤギの食害等による土砂崩壊や漂着物の散乱など環境の悪化が懸念されるといった、尖閣諸島の現状を紹介します。(HPより)

内閣官房 領土・主権対策企画調整室 (cas.go.jp)

 

国際法学者の尖閣研究

・尾崎重義 尖閣諸島国際法上の地位--主としてその歴史的側面について--筑波法政18号 1995.3   *是非とも読んで欲しい。お勧めの論文です。

尾崎重義 尖閣諸島国際法上の地位  1995.3

島嶼ジャーナル  内外の国際法学者を含めた専門家の論説

Home | 笹川平和財団| 島嶼資料センター- THE SASAKAWA PEACE FOUNDATION (spf.org)

創刊号(2013.7.1)~第13巻1号(2023.12.27)出版  島嶼資料センター発行

海洋政策研究所島嶼資料センターでは、日本の島嶼に関する問題について正しく理解するための定期刊行物『島嶼研究ジャーナル』を発行しています。『島嶼研究ジャーナル』は、資料に基づく専門家の学術的な論文を集めた「論説」、国際会議等の国際社会の場で議論された日本の島嶼に関わる問題情報を紹介する「インサイト」、島嶼に関わる問題を理解するための読み物「コラム」の3コンテンツから構成され、島嶼に関する問題の本質を斯界の専門家によりわかりやすく解説しています。(島嶼資料センターHPより)

日本の研究者の尖閣研究

沖縄大学地域研究所編 尖閣諸島と沖縄 芙蓉書房出版 2013.6

斎藤道彦 尖閣問題総論 創英社/三省堂書店 2014.3  全頁473

・いしゐ のぞむ 尖閣反駁マニュアル百題 集広舎 2014.6   全頁413

・いしゐ のぞむ 尖閣釣魚列島漢文資料 長崎純心大学比較文化研究所 2014.3

 

一般の尖閣関連の本

・山本皓一  日本人がもっと好きになる尖閣諸島10の物語 宝島社 2013.10

写真家の山本皓一氏が、尖閣諸島を舞台にした遭難事件を丹念な調査を基に語っている。1940年、古賀家が魚釣島での事業から撤退した後の魚釣島と遭難民との関わりが述べられている

[日本人が知らない尖閣諸島秘史。孤島に生きた先人たちの誇り高き生き様と冒険心が初めて発掘される。「魚釣島」を日本の領土と認めた「感謝状」をめぐる逸話。中国漁船を助けた石垣島民の勇気。封印された戦時中の航空機墜落事故。] (AMAZON解説より)

 

・門田隆将 尖閣1945  新潮社 2023/11/15

1945年に起きた台湾石垣島疎開船の悲劇について、長期の取材を基に明らかにしている。多くの人が知るためには、この事件を活字だけでなく、映像化もして後世に残してほしい。

(AMAZON解説より)

[「命」を救ったのは「真水」をたたえた日本の領土だった――。
知られざる「尖閣戦時遭難事件」の史実が“中国の噓”にトドメを刺す
事件から「78年」という気の遠くなるような歳月の末に緻密な取材で浮かび上がった苦悩と感動の物語。なぜ「尖閣列島」は日本の領土なのか。そのことを示す、ある遭難事件。中国はなぜこの事件に触れられないのか。]

誰も見たことがない日本の領土 尖閣竹島北方四島 付DVD 別冊宝島 宝島社 2011.3.12      *山本皓一氏が撮影した貴重な写真と記事が多数ある。

・中名生正昭  激動する日本周辺の海 尖閣竹島北方四島 南雲堂 2011.2

展示館・資料館で学ぶ尖閣諸島

領土・主権展示館 (cas.go.jp)  東京都千代田区霞が関3−8−1 虎ノ門ダイビルイースト1階 

石垣市尖閣諸島デジタル資料館 - (senkaku-islands.jp) 

絶海の孤島・尖閣諸島は古賀氏による事業撤退以降、その遠隔性や荒い波に拒まれ、上陸調査は困難を極めましたが、琉球大学をはじめとする調査団により、精力的な調査・研究が実施され、その自然や環境の一端が明らかにされてきました。ここではこれまでに実施された学術調査と、その中で確認された非常に珍しい植物、動物の一部を紹介します。(デジタル資料館HPより)

石垣市尖閣諸島情報発信センター/石垣市 (city.ishigaki.okinawa.jp)

参考資料 

尖閣諸島について 外務省

senkaku.pdf (mofa.go.jp)

人民日報 1953.1.8     *国会図書館でコピー

資料「琉球群島人民反対美國占領的闘争」

琉球諸島は,(中略)尖閣諸島先島諸島大東諸島沖縄諸島,大島諸島,トカラ諸島,大隅諸島 の7組の島嶼からなる」という記述があり,中国が尖閣諸島を沖縄の一部と認識していたことが分かる。

人民日報 1953.1.8

・中国の地理教科書  世界地図集(中国:地図出版社,1960年4月出版)では「尖閣群島」,「魚釣島」の記載が見られ、日本が主張する名称を用いている。また、尖閣諸島が沖縄に属するものとして扱われている。

・台湾の国民中学地理教科書(1970.1発行)の地図は「尖閣群島」と表記、1971年から「釣魚台列嶼」と表示。

・1918年、中華民国駐長崎領事が贈った福建省恵安県の31名の漁民救助に対する感謝状。感謝状の記述には、日本帝国沖縄縣八重山郡尖閣列島とある。なお、感謝状の原物は、下記の博物館が保管している。

石垣市立八重山博物館/石垣市 (city.ishigaki.okinawa.jp)

琉球政府発行の尖閣列島(南小島)とアホウドリの記念切手 

「尖閣切手」極秘に発行 日米両政府の圧力かわす 琉球郵政庁、72年に | (yaeyama-nippo.co.jp) 八重山日報 2021/1/13

 沖縄が日本に復帰する1カ月前の1972年4月、当時の琉球政府が、尖閣諸島アホウドリを描いた切手を発行していた。当時の琉球郵政庁が「尖閣諸島が日本の領土であることを明示したい」という熱意から発行を計画。だが、中国、台湾を刺激することを嫌う日米両政府に配慮し、切手の図柄が尖閣諸島であることは極秘事項だった。

当時、沖縄は日本復帰を控えていたが、中国、台湾が尖閣諸島の領有権主張を始めていたこともあり、琉球郵政庁は「独自の切手を発行する権限があるうちに尖閣諸島の切手を作りたい」と考えた。
だが、当時は沖縄を統治する米国政府が切手の図柄を厳しくチェックしており、日本政府も中国、台湾を刺激する行動には反対していた。尖閣切手発行計画が明るみに出れば、両政府から中止の圧力が掛かるのは明白だった。
このため琉球郵政庁の首脳らは「尖閣切手」を、復帰後に開催が決定していた海洋博の記念切手にカモフラージュ。

沖縄の海や島を描いた「海洋シリーズ」の一環として発行した。(「八重山日報」より。一部省略。なお、切手に描かれた島は南小島である。)

尖閣諸島アホウドリの切手

センカクモグラについて 

尖閣諸島「希少モグラ」の現地調査 学者の要望、なぜ日本政府は認めない: J-CAST ニュース【全文表示】 

組織情報|センカクモグラを守る会 (senkaku-mogura.jp)

 

古賀辰四郎尖閣列島開拓記念碑

古賀辰四郎 尖閣列島開拓記念碑-石垣島の観光スポット | 石垣島ツアーズ (ishigaki-tours.com)

沖縄県石垣市の八島緑地公園に、古賀辰四郎尖閣列島開拓等の業績を記念した「開拓記念碑」が建てられている。古賀から尖閣諸島を引き継いだ栗原家が「財団法人古賀協会」を創立し、開拓記念碑を設置した。

尖閣諸島文献資料編纂会の調査成果物 (zouri.jp)

・「尖閣研究」豆図解シリーズ(絵はがき付き) 尖閣諸島文献資料編纂会 2021.7

第1集 尖閣諸島前史 「ユクン・クバシマ」から「尖閣列島」へ 

第2集  古賀辰四郎尖閣諸島開拓 帝国産業界ニ貢献スル所頗ル大ナラン―絶海の孤島にカツオ大国夢見た!

第3集 米軍施政権下における尖閣調査 資源の宝庫 島も海も 沖縄の宝―高良学術調査団の五次にわたる調査

第4集 米軍施政権下における怒りの闘い 沖縄の宝 尖閣の島と海 守れ!!―領土標柱と警告板 設置 救難艇「ちとせ」による取り締まり

第5集 復帰前夜の尖閣めぐる秘話 琉球郵政人の熱き戦い―「尖閣アホウドリ」切手発行物語―

尖閣諸島盛衰記 なぜ突如、古賀村は消え失せた?  尖閣諸島文献資料編纂会 2020年3月 尖閣諸島の歴史を知るうえで、貴重な文献である。また、魚釣島から古賀村が消えた理由も明らかにしている。

尖閣諸島盛衰記 2020.3  尖閣諸島文献資料編纂会編